巣鴨プリズン跡に建設されたサンシャインシティ。池袋の歴史をたどる

今でこそ華やかなイメージの浸透しているサンシャインシティですが、もともとは巣鴨プリズンの跡地だったことでも有名です。

巣鴨プリズンとは

別名、巣鴨拘置所とも呼ばれ、第二次世界大戦後に設置された戦争犯罪人(戦犯)の収容施設でした。昭和23年、極東国際軍事裁判により死刑判決を受けた東條英機ら7名の死刑が執行された場所としても知られ、日本の戦後史において深い意味を持つ場所です。

巣鴨プリズン

昭和33年に移転

地元の人々が中心となった署名運動の背景もあって、1958年に巣鴨刑務所は閉鎖。そして、接収していた東京拘置所は巣鴨に復元(移転)となりました。

また、その後、サンシャインシティの構想も動き出したそうです。

昭和46年に解体

1971年、サンシャインシティの開発計画にあたり、残されていた建物も解体されました。

巣鴨プリズンで肝試し!?

当時は、一般の人が歩ける通路のところに裸電球などが吊るしてあり、近所に住む子どもたちなんかは、「どこまでいけるか!?」といった肝試し(度胸試し)をしていたこともあったそうです。

サンシャインシティ設立までのあれこれ

当たり前ながら、当時にこれだけの大開発ですので、すべてがスムーズというわけではなかったようです。

100以上の法人が株主として集まり、総工事費は約1900億円にものぼり、当時は周囲が栄えていなかったこともあって、テナント誘致は一騒動。名鉄百貨店やそごうの入店も予定されていたものが、第一次オイルショックの影響で急遽中止になったり、色んな騒動があったようです。

東池袋中央公園には平和記念碑も!

サンシャインシティの真横にある、東池袋中央公園には「永久平和を願って」と彫られた平和記念碑があります。

平成30年で開業40周年!

そんなあれこれあったサンシャインシティも、気づけば、もう40周年を迎えました。

昭和・平成・令和と、時代の変遷と共に色んなリニューアルを繰り返して、池袋の観光名所として浸透してきたサンシャインシティ。今後の発展にも期待です!

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